「当たり前に生きる」ということ

詳細は次回の議会報告に記しますが、第3回定例議会での一般質問で、「障がい者作業委託事業に関して」という質問をしました。
事務事業点検で取り上げられた「障がい者作業委託事業」に関して「府中市が福祉作業所に委託している清掃事業の工賃が他の民間業者へのそれと比べて安いのではないか?」という疑問から意識から障がい者の雇用に関して質問しました。
質問のおかげで、府中市が委託している事業に於いて一概に前事業の工賃が低いということはないが、個々の事業に関しては統一されていないため、可能な限り各主管課と委託先とコミュニケーションを取りながら適切な事業委託をすることが必要だと分かりました。

さて先日、元々の問題意識でもあり、質問をしたということもあり、またプロップ・ステーションのナミ姉さんとのご縁もあり、アメリカ大使館とプロップ・ステーション共催の「日米障害者雇用・権利に関する講演・討論会」に参加してきました。

福祉の対象からresource(人材)に。施しを受けるのではなく、納税者として社会で自立をする。アメリカの障がい者政策の兆しは70年代から現れて来るそうで、小・中学校の障害のある児童も通常学級に受け入れて「違いのあること」を”当たり前”のこととする方向に進めたと言います。

90年にADA(Americans with Disabilities Act)が成立し、障がい者も「自立すること」、「働くこと」を補償されることとなります。その下地こそが70年代から続く「違うことが当たり前」という意識なのではないでしょうか?

もちろん、福祉費が高騰した事による税収増加対策、という側面がありますが、障害のある人も”普通に”働けること、納税をすることが出来るシステム、インフラの面でサポートすることにより、長期的な視点で損得を考えられる土壌があることが素晴らしいと思います。

前述のナミ姉さんのスタンスは「(障害のある子どものいる)アタシが安心して死ねる社会を創る」。この日本で実現をしていくことはかなりの障害がありますが、それでも私はこの考えに賛同し、実現をしていきたいと思います。だって、一番大変な人が何とか自立して生活が出来るインフラやシステムが出来れば、それはその他の誰もが生きやすい社会になるんじゃないか、と思いませんか?

先日「intouchables(邦題:最強のふたり)」という映画を観ました。スラム街育ちの青年が失業手当を目的に受けた面接から、首から下が麻痺をしている大富豪の”介護”をすることになり、二人の友情が芽生える。。。シンプルな内容の映画ではありますが、「リッチだから」、「介護をしてもらっているから」ではなく、この二人が”当たり前に”「対等の関係」を築き、最強の友情を育む姿はとても素敵でした。

背が高い人、低い人、勉強が出来る人、絵が上手い人、足が速い人・・・色々な人が自分のできることをやり、出来ないことを補いあいながら暮らす。皆が「当たり前に生きる」社会という課題にこれからも向かっていきます。

「プロップ・ステーションHP (当日の講演会の模様もトップページから見れます)」http://www.prop.or.jp/
「最強のふたり」http://saikyo-2.gaga.ne.jp/

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